当時87歳のシャガールが見た景色 シャガールとリトグラフ、稀代のプロデューサー
シャガールの”リトグラフ時代”の幕開け
第二次世界大戦の戦渦を逃れて1941年にアメリカに渡ったシャガールでしたが、前述のとおり1944年に妻ベラが急死するという悲劇に見舞われます。
シャガールはショックのあまり、数ヵ月全く作品の制作ができなかったといわれています。
失意のどん底にいたシャガールでしたが、同様にフランスからアメリカに逃れていた旧友ジャック・シフランの提案でリトグラフの連作を制作し、本(挿絵本)にして発表することを決意します。連作の題材に選んだのが『千夜一夜物語(アラビアンナイト)』です。
これ以降シャガールは1985年に亡くなる直前まで約40年にわたってリトグラフ制作に没頭し、鮮やかな色彩のリトグラフを生み出していきます。
プロデューサーのエメ・マーグ
20世紀に隆盛を極めた版画文化を支えたのがエメ・マーグ(フランス、1906-1981)がパリに開いたマーグ画廊です。
マーグは版画の摺師として活躍した後、築き上げた人脈を生かして版画を取り扱う画商として頭角を現します。
芸術家との太いパイプを生かしてカタログレゾネ(作品総目録)や挿絵本(文学などのテーマに合わせて挿絵を版画で制作した本)など様々な出版も手掛けていくマーグは、自らの画廊で展覧会を開催するだけでなく、有名画家によりこの雑誌のために制作されたリトグラフ作品そのものを収録した雑誌(展覧会カタログでもある)、『デリエール・ル・ミロワール』を創刊します。
伝説の美術雑誌とシャガール
この雑誌は1946年から1982年まで美術愛好家を魅了し続け、通算で実に253号を刊行しました。
ムルロ工房の協力のもと、マティス、ブラック、ピカソ、ミロ、カンディンスキーといった名だたる画家によるリトグラフそのものを収録した美術雑誌に、20世紀を代表する画家の一人であるシャガールも30回以上にわたって新作のリトグラフを提供しました。
これだけ何度もこの雑誌のためにリトグラフを制作している事実は、シャガールがいかにエメ・マーグと深い信頼関係にあったかということ、どれほどリトグラフ制作に深い思い入れがあったかを物語っています。
シャガールはマーグのプロデュースによって他にもたくさんの作品を制作しました。今作『緑の河』マーグが手掛けた作品のひとつです。